カミデのブログ

日夜、創作と修行、音楽製作にあけ暮れる、音楽家の生活

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恩師の言葉

 先日からニュースでISISの人質となった日本人2人のニュースが話題となっています。そしていつものごとく「自己責任」という言葉が飛び交い、その大半が関係者に侮蔑を投げかけるようなものばかりです。「なんて無茶なことをするんだ!」という意見をテロリストにではなく(あいつらに怒れよ!)、日本人に投げかけているのです。2億ドルを要求しているテロリストにではなく(なんでやねん!)、人質にたいして怒っているのです。この事態の憤りをテロリストにではなく(だから、あいつらに怒れよ!)、「奴らを怒らした」(おいおい、ちょっと...)とかいって安倍政権に投げかけている人もいます。

 

 日本人はいつからテロリストの顔色をうかがうような卑怯者になったのでしょうか。

 

 また、人質2人の情報もG氏はジャーナリスト、Y氏は最近会社を興したばかりの起業家、ネットで得られる情報量の数々については、G氏はいろんな実績が出てくれるが、Y氏に関しては遊び半分か冗談のようなものしか出てこない(意図的?)。コレもよくよく考えればあたりまえのことで、G氏はジャーナリスト、Y氏はまだ実績のない会社の代表、実績における情報の量が違うのです。

 

 人は情報というカードを与えられると、その与えられた情報の隙間を想像力で補います。そして、この想像力は与えられた情報の隙間から生まれた憶測というだけの存在にも関わらず、事実よりも大きな真実へと生まれ変わります。想像力の偉大な悪癖です。

 

 ここでY氏に関して書きたい。ネットで出てくる遊び半分の冗談のような数々の情報の隙間から、私たちは想像力を働かせます。この男はきっと「ろくでなし」に違いないと。ほんとうにそうでしょうか?金儲けや遊び半分だけで、ひとりで戦場に行けるでしょうか。ミリタリーオタクというだけで、常識の通じないテロリスト集団のいる国に行けるでしょうか?あなた、行けますか?場合によっては処刑されることも、たとえどんな脳天気な人間でも頭をよぎるでしょう。「志」がなくてあんな危険な場所には行けない。彼の「志」の情報がすっぽりと抜け落ちてる、否、そもそもひとりの人間の「志」の情報などネットで探してもそうそう見つかるはずもないのです。何かを成し遂げた人間だけが、その結果、ようやく世間が「志」なるものの意見に耳を傾けてくれるのです。道の途中にいる人間は「たわごと」と一蹴されます。それまでは、運良くほんの一握り理解者たちの支援を受けるか、そうでなければひとりで前を進んでいくしかないのです。

 

 僕は音楽の勉強をするためにアメリカに行きました。そして現地では「やくたたずの能無し」と思われていました。今から考えれば恥ずかしいくらい英語力がなかったのと、極度のストレスからまわりの音を聞く余裕もなかった。日本にいた頃は、同世代の音楽学生の中よりもそこそこピアノが弾けて、ちょっとちやほやされていたんですよね。で、奨学金までいただいて海外に行くもんだから、ものすごく調子こいてましたよ。

 

 ボストンからさらに長距離バスで田舎に行くこと数時間、町全体が学校の敷地のような田舎、そこでジャズを学ぶために渡米しました。始めて来た米国、映画でしか見たことのないような町並み、学校の雰囲気、どれもコレも新鮮で舞い上がってました。でもね、初日のギグ(音合わせみたいなもんです)でやらかしたんですよ。

 学校での授業内容はピアノ、ベース、ドラムス、そしてホーンセクションと弦など各パートごとに分けられての授業、各パートから1名ずつ集めてバンドで演奏するアンサンブルの授業、後は自主選択で聴講することができる音楽理論やミュージックビジネスの講義。アンサンブルクラスは、地元のレストランでお客さん相手に演奏したり、週末にはお客さんのいるホールでライブをさせてもらったり、かなり実践的です。

 全員、オーディションで集められた学生なので、演奏力はみんなそこそこあるわけですね。最初のピアノの授業でそれぞれがデモンストレーションの演奏をするのですが、そのときもちょっとまわりからは一目置かれる程度の演奏はしたわけですよ。演奏終了後にいろんな人から声かけられて、アメリカ人はストレートなので感動したらすぐ声かけてくるんですよ。

 で、調子に乗ってアンサンブル、そこでギタリストの白人から、ここをこうしようとかいろいろアイデアを出されたわけです。でも全然、なに言ってるかわからんかったんです...。まぁ、演奏したら何とかなるか思っていたら、全然かみ合わない。で、また演奏やめて、ギタリストが説明に来るわけですよ。でも、何言っているかわからない...。ついにギタリスト、顔を真っ赤にして、ぶち切れて、

 

「Fuck You!!」

 

と雄叫び、その後も延々とののしるわけです。生まれて初めて、「ふぁっく!」と面と向かって言われたのが、アンサンブルの最中だったのです。映画でしか聞いたことのない、この言葉の持つ不快な侮蔑のエネルギーを現実にまともに受けたのです。英語力がなかったのが幸いして、聞き取れたのは「ふぁっく、ゆー!」だけで、その後に続くののしりは、全く理解不能、赤鬼が目の前で怒り狂ってる場面だけでした。たぶん、激高しやすいタイプの白人だったのでしょう、アジア人では見ることのない火山の噴火のような欧米人の怒りの表現に圧倒され、ただただ呆然とみてるのみでした。その後、監督教師の仲裁で事態は収拾、このギタリストは、この日を最後に姿を見せなくなりました。

 

 ちょっとしたことで、コンディションていうのは崩れていくもので、コレをきっかけにして、しおれた花のように生気がなくなって行くんですよ。おまけに英語ができないもんだから、どんどん孤立していく。当時20代だったのですが、欧米人から見れば僕は、どう見ても15,6歳にしかみえなかったようで、年齢を聞かれて答えたら「おまえは嘘つきだ」と言われる始末。もう何も聞きたくないから、まわりの音すらも聞けなくなって、どんどん殻に閉じこもった演奏になるわけですよ。

 

 「挙動不審で生気のない、嘘つきのアジア人」、そのとき僕に与えられたカードです。

 

 ここまで読まれた皆さんは、さぞかし暗い学生生活だったんだろうなとお思いになるかもしれませんが、それも手持ちの情報をつなぎ合わせた結果の想像力の産物です(笑)。実際には仲良くしてくれた友達もいます。イタリア人のドラマーのJoe、アイルランドから来たベーシストのAndy、地元のボーカリストのAnne(彼女は何と日本語専攻の学生だったのです)とその彼氏のJack、それと僕を見かけるたびに声をかけてくれる先生がいました。Ted Dunber氏、アンサンブルの授業で仲裁に入ってくれた監督教師です。この人は、現在活躍している数々のギタリストを育てた、名教師ということを後になってから知るのですが、そのときは大柄な(2m近くあったような気がします)恰幅のいい黒人のおじさんといったイメージしかありませんでした。ギターがちょっと大きめのウクレレに見えましたから...。

 

 「Takashi, enjoy!」、これが僕への彼の挨拶です。或る日、カフェテリアをひとりでぶらぶらしていると、Dunber氏に遭遇、で、珍しく長くいろいろ話しかけてくるんですよ。僕の英語力がないので、相手もそれにあわせて途切れ途切れの単語で話すんですよ。「音楽スバラシイ、友達ナカヨク、楽しむこと大切」みたいな感じです。で、突然真面目な顔になって、

 

「there is something only you can do, that's why you are here.」

(君にしかできない何かがあるから、君がいるんだ)

 

 英語力がなかった当時でも、わかったんですよ、何を言っているかが。そしてつづけて、「人に与えてもらうものではなくて、自分の中に既にあるものを自分で見つけ出すんだ」「すぐに見つけられるものではないし、探したからといって見つかるものでもない。だから今は、とにかく与えられた時間を楽しみなさい」「自分に今できることをやり続けていれば、ほんとうのことが見えてくるから」

 

 「僕にしかできない何か」、この言葉の意味がようやく最近になって少しだけわかるようになってきました。

 

人はそこに存在しているだけで良いんです。

 

 僕はそれを大切な人、友達や自分の両親に望みます。元気に自分自身を楽しんで幸せでいてくれることを。

 

「その人が幸せで元気でいてくれることは、その人にしかできません」から。

 

もうそれだけで十分、何者になるとかそんなことよりも、大切な人には、ただただ元気で存在してくれるだけで良い。そのために自分の人生を楽しむ何かを、充実させる何かをそれぞれが一生懸命にやれば良いのです。

 

 その後、学校では友達もたくさんでき、ありがたいことに成績もA+をいただきました。もちろん「やくたたずの能無し」のイメージも返上です。いつか遊びにおいでと、Ted Dunber氏から電話番号とニュージャージ州の自宅の住所を書いたメモをいただきました。その後、残念ながらお会いすることもなく、僕のアルバムの世界配信が始まる3年前に亡くなられました。

 

 人は自分にしかできない何かを求めて、自分なりの努力を続けます。でも、もっと根本的な部分で大切なことがあるような気がします。「ただ、いてくれるだけでいい」と願う人がいるだけで人はもう特別な存在なんですよ、

 シリアで人質となっているお二人も、覚悟の上での行動とは思うのですが、彼らにも「存在してくれているだけでいい」と思う人がいます。そちらの部分に少しだけでも想像力を働かせれば、もう少し違うものの見方もできると思うんです。

 

最後まで読んでくれたあなたへ

 

大切な人のために

そこにいるだけで良いんです

 

そして、大切な人も

そこにいてくれるだけで良いんです

 

カミデタカシ

 

5月13日、ピアノアルバム 2タイトル同時発売です!!!