あげまん、さげまん
努力しても努力してもうまくいかない事ってありますよね。こんな時、関西では「あの人はまんが悪かったんよ」といいます。「まん」とはタイミングとか時には運という意味につかうのですが、たぶん「間」がなまったものではないかと思います。
あげまん、さげまんの「まん」も関西でいうこの「間」から来ているというのを、何かの本で読んだことがあります。
だから男性に対して「さげちん」というのは間違いなのですよ−!セクハラです!
ボクは「運」というのはまさにタイミング、つまり「間」だと思っています。たいていのことは計画的かつ合理的にものごとをこなしていけばうまくいくことが多いのですが、思わぬトラブルに巻き込まれて全て台無しになることもあります。
人には制御不可能なことが山ほどあります。明日のお天気を決定できません。信号の変わるタイミングや渋滞もコントロールできません。他人の意思を自分と同じようにできるものではありません。コントロールできるのは自分自身のことしかないのであります。
自分のやりたいことがお天気に左右されるのなら、天気予報を見るなりして自分のほうからお天気にあわすしかないのです。信号待ちや渋滞が困るのなら、早く家を出るなりしないといけないのです。他人の意思はコントロールできませんが、自分との接点を見つけて落としどころを探すしかないのです。
ようするに何とかしようとする、自分自身の知恵と行動力につきるわけで、それでもタイミングをはずしたり間違えたりして思うように事が運ばなかったりします。だから、このコントロール不能なところを少しでも良い流れに乗せたいと思うのは人の常ですね。
京都の芸子さんですごい「あげまん」の人がいたらしく、企業の社長さんとかが商談の前には必ず握手してもらいに行っていたそうです。何でもこの人に会ったあとには、大きな商談がうまくいくらしく、うわさが噂を呼んでこの芸子さんは大モテだったそうですよ。でもコレは幸運のペンダントと全く同じ理屈ですね。
幸運のペンダントというのは、コレをつけていると幸運に恵まれるというものです。
実際、この手のものには幸運に恵まれたという人がたくさんいます。でもコレは一種の錯覚でコレをつけているときに何も起こらなかった多くのことはきれいさっぱり忘れていて、たまに何かすごくイイコトが起こったときには、すごいインパクトで覚えているんですよね。
確かに異性の存在がやる気を起こしてくれたり、一緒にいてもらうことでつらい時を乗り越える事ができたりします。そういうときに奥さんや恋人のことを「あげまん」と思って、感謝の気持ちを持って大切にすることはイイことですよね。ただたんに「あげまん」とかいうのではなくて、普段からの信頼関係がお互いの向上心を高めていくのはいうまでもありません。
でも、自分の不甲斐なさや計画性のなさを棚に上げて、奥さんや恋人のことを「さげまん」というのは、恥ずかしいことですよ。そのようなバカたれこそ「さげちん」の称号を授けましょう−!
「さげ」でおさまりました、お後がよろしいようで〜♪
(落語で最後のオチのことを「さげ」といいます)