カミデのブログ

日夜、創作と修行、音楽製作にあけ暮れる、音楽家の生活

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で、あなた、有名なの?

 かなり前の話ですが、駅前留学というのが流行りましたよね。駅前に英会話スクールがたくさんできて、そこに通うことを駅前留学といったわけです。どれだけの人が語学力をつけることができたのかは謎ですが(笑)...。

 この英会話学校で授業とは別にフリーカンバセーションというのがあって、そこの生徒ではなくても千円で一日中フリールームにいることができるというものです。この部屋に英会話スクールの外国人講師と数人の日本人で英語によるフリートークというのをするわけです。ボクも拙い英語力を維持するためにここによく居座ったものです(最終的には、外国人講師と仲良くなって、バーとかにいって飲み歩いていましたが)。

 

 この部屋には英語力がかなり怪しいおじさん、おばさんも混ざっていて、そういうときはトピックもわかりやすいものになるときが多かったですね。で、自己紹介でボクがミュージシャンというとそういったたぐいのおじさんは、必ず、

 

「so, are you famous?」(で、あなた、有名なの?)

 

と聞いてきます。おじさんが多いです。おばさんの場合はどんな音楽をやってるかと聞きますが、おじさんは必ずといっても良いほど同じ事を聞きます。

 

 普通のシチュエーションなら、「いえいえ、ご存じないなら、それまでの存在です、ははは...、なのですが、この部屋はフリーカンバセーションですよ、「音楽家は有名であるべきか」というトピックが立てられてしまうわけです。こういうトピックはわかりやすく盛り上がりますからね。

 

 今でこそ、こういう問いにたいしてはキッチリ説明できますが、その当時は週に1度程度、知り合いのバーでピアノを弾かせていただいてお小遣いをもらっていた程度ですから、漠然としか否定できないわけですよ。自分も有名になれば楽できるという安易な考えしかありませんから。

 

 本当は音楽家がどうやって生きていくかなんて、ほとんどの人が説明できないんですよ。だから知らない人からすれば、もうメジャーデビューして有名になってお金ガッポリなんて考えるわけですね。やっている当人もわからないうちは、音楽を志していろいろやっても結果が出なくて、自分を見失っているときはこっちに気持ちが流れますよ。

 

 それと世間というものは、強いもの、わかりやすいものが好きですから。結局、メディア関係に露出度が多いとそっちにどーっと流れるんですよ。みんな「勝ち馬」に乗りたいんですよ、そういった心理は当然ながらボク自身の中にもありますよ。

 

 弱い相撲取りよりも強い相撲取りに目がいきます。ボクシングはチャンピオンに目がいきます。スポーツ競技に於いては、もう強いほどみんな応援します。ほんとうに応援が必要な弱い方は無視です(笑)。

 「勝ち馬」に乗ろうとする傾向は誰にでもありますよ。自分の生活に深く関わらずどうでもいいときでも知らず知らずわかりやすい「勝ち馬」に乗ろうとします。そのほうが楽です。

 

 弱い方が強くなるまで応援するのって、応援する方もけっこうエネルギー使いますから、よっぽどの思い入れがなければできませんよ。だから、弱いときに応援してくれた人のことを忘れないのも、それだけの恩義を感じているからですよ。

 

 結局普通に生活している人からしたら、相撲取りが勝とうが負けようが、音楽をしている人が有名になるとか、ようするに自分に深く関わりのない出来事以外は、実際どうでもいいんですよ、 数分後にはスッカリ忘れてますから。

 

 ボクが有名であろうとなかろうと、そんなことは相手にとっても実はどうでもいいことなんですよ。本人からしたら、普段そんなに深く考える必要のないどうでもいいことだから、有名であるということが音楽家の一番の存在理由と思うわけです。

 ただ、有名であることが利益につながる、プロモーターや音楽事務所はまさにそこが一番大事となります。本質がお金儲けですから、それでスタッフ従業員の給料払っているわけですから、彼らにとっては「商品」が有名であることはとても大事なのです。これはとてもわかりやすくてシンプルです。だから、ほとんどの人の考えはここに行き着いてしまうんですよね。

 

 自分が本質を求めていても、まわりの全ての人がそれと同じであるはずもないし、他の人にとってはどうでもいいことだったりします。そして、そのどうでもいいと思っていることを憶測であれやこれといってくるのは、さらにもうどうでもいいノイズのようなもんですよ。 

 

 だから放っておけばいいんですよ、実際。

 

 洗練する「ソフィスティケイト」という言葉の意味は、ギリシャ語の「ソフィスト」から来ています。都市から都市を渡り歩いて哲学や修辞学を教えて報酬を得ていた「詭弁家」をさします。そして、彼らは「真理を追究するよりも、いかに相手を論破するか」に関心があったそうです。

 洗練という言葉が意味するように、人々に絶賛されるためだけに洗練することが、本質から遠ざかってしまうことをアーティストは知るべきです。

 

 人の意見を傾聴するのは大事なことですが、すべて聞き入れる必要はないのです。絶賛されるために洗練することではなくて、大事なのはまずは自分自身の本質にしたがい生きることで、そうすればノイズも聞き流せるようになると思うんですよ。

 

  本質がわかれば、たとえばお金のために仕事をすることも本質ではないが、本質に行き着くためには必要なこととわかるようになります。

 最初から誰も他人の本質追求のためにお金は払ってくれませんから、お金は自分で稼ぐしかないのです。また、それが明らかに本質からかけ離れている場合は切り捨てる必要も出てくるし、本質がわかっていれば切り捨てることに何ら迷いは感じないはずです。

 

 何にせよ本気でそれを職業とするつもりなら、最低限のマネジメント、マーケティングは勉強すべきと思いますよ。それもせずにぐーたらいっている人は、どこか雇ってくれそうな会社に「いわれたことだけを忠実に守って」真面目にお勤めすることをお薦めします(以前、中高年のおっさんに「それもできない場合は?」とか突っ込まれたことがあるので、そのときいった言葉を書いておきます。「それくらい自分で考えなさい」)。

 

 本質的なものは人それぞれであり、他人からすれば、ほんとうにどうでもいいものかもしれません。 家族かもしれない、恋人かもしれない、子供の時からなりたかったものかもしれない、それを確信するには、人によっては時間のかかるものかもしれません。だったら、ゆっくり考えれば良いのです。直感なんてあてになりませんよ。

 

  失ってから気づくものかもしれません。だったら、やり直せば良いのです。それに気づけば新しく始められます。

 

 そして、

 

 いろんな困難に直面して、何かの選択に困ったときには、迷わず本質を選べば良いのです。それを手放さなければ、人は何があっても生きていけます。だから命がけで守ってください。

 

 そうやって、ボクも頑張っていきます。

 

 ボクは音楽に対しての本質というはもちろん追求しますが、それより大切なものがあります。生きるための本質は自分自身の生命家族です。今は実家の両親であり、世話をしている犬たちもです。それを維持するための自分自身の健康です。生きることの中心がわかっていれば迷うことはありません。

 

 ボクはその本質を守りつづけるために音楽をしているのです。

 音楽をしながら生きているのではなく、

生き方を音楽に反映させているのです。有名であるかどうかよりも守るべきものが何か自分で決めているんですよ。

 

 人生で起こる出来事それ自体は単なる現象で、そこに意味を見つけ出すかどうかはその人自身なのですから。

 

ご静聴ありがとうございましたm(__)m

 

 

5月13日、ピアノアルバム 2タイトル同時発売です!!!